限られた内的エネルギーを奪う、ということ。
一日のうちに使えるエネルギーや意思決定量は決まっている、という説を解説するWEB記事を読み、そこに書かれてあった「決断疲れ」という言葉をヒントにして、自分がなにに捕われており、なにによってしがらんでいるかを考えた。シンプルに、家庭環境が要因としてそこにある。
父は、「これはどういう意味なんだ」「これはどう使うんだ」などとすぐに他人(たいてい僕)を巻き込んだり、使ったりする。独り言の多いタチなのだが、水中に釣り糸を垂らすかの如く、「これで誰かが釣れたらラッキーだ」くらいの軽い感覚でそうしているようにも見える。独り言は釣り糸を垂らす行為なのだ。そして、私は何度も何度もかんたんに釣られてきた。つまり「釣る」とは、自分のために他者のエネルギーや時間を使うということ。
さらにえいば父は、家族の文句や家族の愚痴をはばかることなく家庭内でたれたり、重箱の隅をつついて家族を攻撃してばかりいる。そのせいで、私はストレスや小さなトラウマを日ごろから抱えがちになっている。このため、もともと一日で使える量が限られていると言われる一日のエネルギーや意思決定の力がどんどん削がれてしまい、一日の内にできることが少なくなってしまう。少なくなるどころか、回復のために休まなくてはならなくなったりもする。
ずっと、少なくとも10年以上はこういった環境で時間も体力も精神力も削られてしまっているために、私の生産性は低くくなっている。
これは私の父、そしても実は母もそういったタイプなのだけれど、世代的なものだろうか。それとも年齢的なものなのだろうか。はたまた、個人的な特性であってたまたま似た者同士が結婚して私が生まれたということなのだろうか。背景ははっきりとわからないのだけれども、いずれにしても彼らは利己的だ。長年いっしょに生活してきた人がこんなに利己的だったと気づけなかったのは、うまく誤魔化されてきたせいもあるだろう。でも、生まれ育ってきた場所、つまり生きるために初歩的なところから学んでいく場所がそうだったのだから、私が気づきにくい人間として早い段階からすでにできあがってしまっていた可能性も高いのではないかと思う。
気づけないのは、なかなかメタ認知能力が発揮できない領域にいるからかもしれない、という気がしている。
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