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育ち。

  うちの両親だけなのか、世代的なものなのかはわからない。彼らには自らが人としてよくなろう、向上しようという気がない。自分の基盤の部分はなにがどうしたって変わらないし、変わらせはしない、という気でいるのが見て取れるようになってきた。これはやっぱり、「不安」が強いからじゃないかなあ。  母親は専門的に不安神経症と診断されたのがはじまりだし、父親は総合内科で不安神経症と診断されている。それで僕はひとりっ子で、数的に分が悪い。こうしろああしろと不安神経症的な考え方や感じ方を押し付けられてきた。自分では知らずにいびつな世界観をもってしまうものなのです。  音楽、インターネット、というものがそのいびつな世界観に「それはどうかな?」と働きかけるものだったしハッと小さく気づけたことでいびつな世界観に小さな亀裂を生じさせもした。これは学生の時分。その後、悩まされていた頭痛が緩和して読書量が増えるとそれまでの世界観をいつしか客観的に見られるように。  だから、本って好いな、助かったな、すばらしいところがあるな、と思えたりもする。それでもって、僕自身もそういった言語的表現の発信をしたくなる。さらに、それで収入を得られたらなおいい、と思うようになった。とはいえ年齢的にも能力的にも、もうそれしかないじゃん、とも感じていた。  勤めながらでも本を読んだり、ものを書いたりするのは、流されて生きるのができないからだ。自分の手綱を自分で握っていないと著しく心身の調子が悪くなるタイプ。これは育ちのせいだろう。わけのわからないものを押しつけられてきた苦しみの根深さだ。  なんてことを書いていると、私小説的エンタメの一部みたいなものになっていたり。まあ、小説作品にとりかかっているときでも、自分ってものを5%くらい書き込んでも問題ないだろう、みたいには思っています。音楽の分野では、坂本龍一さんが作品のなかの5%の自分、と言っていたことがある。……と話がちょっぴり逸れていったところで今日はおしまい。

時代と共に精神構造は変わる。

  人間の精神構造は時代によって変わってくる。だから、100年前に効果のあった精神分析の方法論が現代では古いため使えなくて、現代で用いられているものはバージョンアップされたものだったりする(ようです)。  これは、精神分析が開発された西洋での話。だとすると、自我の在り方が西洋人とまったく違う(といわれる)日本人には、西洋で受け継がれている精神分析はそのまま当てはまらないんじゃないか、と考えられる。精神構造が違うから。  欧米ほどメンタル面での医療がポピュラーにならないのには、こういった、西洋人の精神構造に適した医療行為だからイマイチしっくりこないがためなのかなあと思った。薬物治療はまた違うかもしれないですが。精神分析や心理療法の分野についての話です。  精神分析をそのまま日本語に翻訳するっていうやり方よりも、日本人用に開発するような「創造」がほんとうは必要なのかもしれなくないですか。たとえば河合隼雄さんはユング派だったけれど、昔話を分析したりなど日本人の心理を西洋人とは違うものとして考えた人でもあったんじゃないかなあ。  などと、ぐるぐる考えながら書いていますが、現実にはずっと昔からそういった方向で動いてきているものだったりしそうですよね。  ・・・以下からは翌日に書いた追記になります。   ということは、しつけや教育の仕方にも「時代によって人間の精神構造は変わる」というとらえ方(あるいは事実)を反映するべきなのかもしれない。わかりやすい例だと根性論・精神論によるスパルタ教育。100年前の人たちにはそれが当たり前で、耐えられた人が多かったのだろうけれど、それは時代環境によって作られた個々の精神構造がそういった根性論と親和性があったからなのかもしれない。現代人にこの100年前の教育方法を施したところで成果はあまり上がらないだろうし、不満が出るだろうし、メンタル不調になる人もそれなりの数がいそうだ。  昔の考えを現代にも押し通す、というのは年配の人に多い。「昔はこうやってたんだ」と彼らは言う。これが時代錯誤となるのは、時代と共にそこに生きる人たちの精神構造が変わって、昔のやり方がそぐわなくなるからだ。開発された当初の精神分析が時代の進み具合とともに効果が得られなくなっていくように。だから、他者に意見したい人ほど、時代と共に自分自身も変化していかなくては...

一緒にいてはいけないタイプである私の父親

  スマートニュースに流れてきたプレジデント・オンラインの記事、「こんな人と一緒にいてはいけない…心療内科医が「警戒せよ」という幸福度を低下させる"危険人物"の見抜き方」( https://president.jp/articles/-/110730 )を読んで、あらためて私が生まれ育ちそして今もなお影響を受け続ける家庭環境の特異さを認識した。ありがたいほどに言語化されている記事だった。引用しながら書いていく。 「精神的に健康な人と結ぶ人間関係の割合を増やすことは、精神的によい。幸福には伝染性があるといわれており、ヘルシーで幸福な人の周囲には幸福な人がいる確率が高い」と記事の序盤にあるのだが、ぐっと踏み込んで考えてみると、「信頼できる人」を見抜けるかどうかがOWN LIFEの質、生きやすさ、幸福感に大きくかかわってくるということになる。「相手が信頼できる人かどうかを見極める」ことはひとつのスキルであり、そのスキルをうまく育めないと信頼できない人とのかかわりを持ち続けるようにもなってしまう。それによって自分を否定したり、責めたりするようになりやすい。なぜなら、信頼できない人とは、責任転嫁をして他者を責めるなど、他者を追いつめる人と見ることもできるからだ。たとえば、「反対に、信用できない人との関係はストレスやトラブルの原因になり、自己不信を強めることにもつながります。」という本記事の見方もそう。興味を持たれた方は、先ほど記したURLをあたってほしい。  さて。世の中には、信頼してはいけない人がいる。それが自らの親だったなら? 実は私の父親はこのタイプ。それならば早いうちに離れてしまえばいい、とお思いになるでしょう。しかしながら、要介護の母親を放っておけず、かといって父親から離れてしまっては経済的になりたたないほど初期の頃に人生を賭けてしまったため、信頼してはいけないタイプの父親とずっと暮らしていくはめになっている。  記事には【信頼できる人を見極めるチェックリスト】が載っている。 【言行一致しているか】 その人の発言と行動が一致しているかどうか。 → 父親はいわゆる「ジキルとハイド」の性質がある。外と内で使い分けるのもあるが、内にいるときでも気分でころころ変わり、矛盾だらけになる。町内会を脱会するときにもめて、「町の人権委員に話をしてくる」とでかけて...

奇跡に呼ばれる、あるいは呼び込む。

  今の職場で働きはじめてから5カ月が過ぎた。その間、これまで見たことなんて一度もなかった野生の白うさぎをいろいろなところで合計4回も目撃することに。自宅のある住宅地で跳ねまわっているのを見たのが始まりで、コンビニへ向かう途中の道路や隣町に買い物に行ったときの空き地などでも目撃しました。僕の持つうさぎのイメージは、「もふもふして丸っこくて柔らかそう」というものでしたが、これまでに見た4羽のうさぎはどの子も筋肉隆々でした。野生で生き延びる子たちですから当然といえば当然。  それで、急にこれほどの頻度で白うさぎを目撃することになったことを反芻するように立ち止まって思い返していたのが一昨日の夜のこと。ふと思い立って、「白うさぎってなにを象徴する存在なんだろう……」とグーグルで検索した。すると、「発展」や「飛躍」などとてもよい兆しであるとでてきた。でも、ちょっとばかりひっかかることが……。  僕の勤務先はカトリック系の社会福祉団体だ(カトリックに属するように強いられるどころか誘われたりもしない、ホワイトな団体)。ならばひょっとして、と恐るおそる「カトリック 白うさぎ 象徴」と検索窓にワードを入力した。すると、「白うさぎは聖母マリアの象徴」と出た。職場の玄関には大きなマリア像が置いてある。  これを宗教的な奇跡ととらえるかどうかはその人次第なんだろう。僕は、神様(あるいは神様と人が思い込んでいる事象を起こすモノ)は人間一人ひとりがそれぞれ心の奥に宿していると考えているから、自分が起こした(引き寄せた)事象だろうと考えることにした。C・G・ユングや河合隼雄さん(ユング派)の本に大きく頷いてきた人だからね、僕は。  ……まあでも、不思議といえば不思議ですよ、とっても。

大雪の札幌へと強行軍。

  札幌は先週末あたりに大雪! 1月は観測史上最大の降雪になっているだとかとニュースで報じられていました。札幌駅で一夜を明かした人たち、JRが止まったので新千歳空港で一夜を明かしたひとたちの姿がテレビ画面などに流れてきてもいました。大変だったと思う。  そんななか母親が入院するため、札幌市中央区の病院まで運転することに。30日(金)のことです。朝は4:15起床。家を出る時刻は20分押して6:50分に。道の駅でトイレによりながら、それでも使った12号線は思いのほか空いていて、2時間50分ほどで到着しました(普段は2時間ほどで着く)。手続きや説明会を経て、病院を出たのが16:15分くらい。そこからすすきのを超えるあたりまでひどい渋滞でした。帰宅ラッシュでもあったでしょう。すすきのは4車線のうち、雪で2車線つぶれ、残りの1車線は駐車している車が多いため実質1車線になっていました。進まないわけです。乱暴な割り込みをされたり、危なくもあって、けっこう神経を使います。で、すき家で夕食をとり、コンビニにも寄って、帰宅は19:50分くらいだったでしょうか。往復で6時間以上運転したことになり、目がしょぼしょぼだし、前日までの二日間は職場で引っ越しの助っ人をやってましたし、昨日は疲れが抜けずだらだら過ごしてしまった。母の介護から離れられているのにもったいないと思いながら。それでも、夜には乃木坂46のCDについている映像特典を楽しむことはできたのですが。  で。  予定では3日にまたその中央区の病院へ行かねばならないんです。昨日、今日とまた札幌は大雪です。やれやれ、思いやられます。  36号線を運転していると、横断歩道の入り口もふさがっていて、2m以上の雪壁になっている。なんだこれ、と。まあ、雪の多さでいえば僕の町のほうが多いのですが、昨年もそうですがどうして札幌が、とは思いますよねえ。ちょうど雪まつりの時期ですけど、加減ってものがあるでしょう。反対に、僕の町は例年よりも雪がだいぶ少ない。昨年11月にドカ雪が降って観測以上最大なんて言われたのに。気候変動ですねえ。