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一緒にいてはいけないタイプである私の父親

  スマートニュースに流れてきたプレジデント・オンラインの記事、「こんな人と一緒にいてはいけない…心療内科医が「警戒せよ」という幸福度を低下させる"危険人物"の見抜き方」( https://president.jp/articles/-/110730 )を読んで、あらためて私が生まれ育ちそして今もなお影響を受け続ける家庭環境の特異さを認識した。ありがたいほどに言語化されている記事だった。引用しながら書いていく。 「精神的に健康な人と結ぶ人間関係の割合を増やすことは、精神的によい。幸福には伝染性があるといわれており、ヘルシーで幸福な人の周囲には幸福な人がいる確率が高い」と記事の序盤にあるのだが、ぐっと踏み込んで考えてみると、「信頼できる人」を見抜けるかどうかがOWN LIFEの質、生きやすさ、幸福感に大きくかかわってくるということになる。「相手が信頼できる人かどうかを見極める」ことはひとつのスキルであり、そのスキルをうまく育めないと信頼できない人とのかかわりを持ち続けるようにもなってしまう。それによって自分を否定したり、責めたりするようになりやすい。なぜなら、信頼できない人とは、責任転嫁をして他者を責めるなど、他者を追いつめる人と見ることもできるからだ。たとえば、「反対に、信用できない人との関係はストレスやトラブルの原因になり、自己不信を強めることにもつながります。」という本記事の見方もそう。興味を持たれた方は、先ほど記したURLをあたってほしい。  さて。世の中には、信頼してはいけない人がいる。それが自らの親だったなら? 実は私の父親はこのタイプ。それならば早いうちに離れてしまえばいい、とお思いになるでしょう。しかしながら、要介護の母親を放っておけず、かといって父親から離れてしまっては経済的になりたたないほど初期の頃に人生を賭けてしまったため、信頼してはいけないタイプの父親とずっと暮らしていくはめになっている。  記事には【信頼できる人を見極めるチェックリスト】が載っている。 【言行一致しているか】 その人の発言と行動が一致しているかどうか。 → 父親はいわゆる「ジキルとハイド」の性質がある。外と内で使い分けるのもあるが、内にいるときでも気分でころころ変わり、矛盾だらけになる。町内会を脱会するときにもめて、「町の人権委員に話をしてくる」とでかけて...

奇跡に呼ばれる、あるいは呼び込む。

  今の職場で働きはじめてから5カ月が過ぎた。その間、これまで見たことなんて一度もなかった野生の白うさぎをいろいろなところで合計4回も目撃することに。自宅のある住宅地で跳ねまわっているのを見たのが始まりで、コンビニへ向かう途中の道路や隣町に買い物に行ったときの空き地などでも目撃しました。僕の持つうさぎのイメージは、「もふもふして丸っこくて柔らかそう」というものでしたが、これまでに見た4羽のうさぎはどの子も筋肉隆々でした。野生で生き延びる子たちですから当然といえば当然。  それで、急にこれほどの頻度で白うさぎを目撃することになったことを反芻するように立ち止まって思い返していたのが一昨日の夜のこと。ふと思い立って、「白うさぎってなにを象徴する存在なんだろう……」とグーグルで検索した。すると、「発展」や「飛躍」などとてもよい兆しであるとでてきた。でも、ちょっとばかりひっかかることが……。  僕の勤務先はカトリック系の社会福祉団体だ(カトリックに属するように強いられるどころか誘われたりもしない、ホワイトな団体)。ならばひょっとして、と恐るおそる「カトリック 白うさぎ 象徴」と検索窓にワードを入力した。すると、「白うさぎは聖母マリアの象徴」と出た。職場の玄関には大きなマリア像が置いてある。  これを宗教的な奇跡ととらえるかどうかはその人次第なんだろう。僕は、神様(あるいは神様と人が思い込んでいる事象を起こすモノ)は人間一人ひとりがそれぞれ心の奥に宿していると考えているから、自分が起こした(引き寄せた)事象だろうと考えることにした。C・G・ユングや河合隼雄さん(ユング派)の本に大きく頷いてきた人だからね、僕は。  ……まあでも、不思議といえば不思議ですよ、とっても。

大雪の札幌へと強行軍。

  札幌は先週末あたりに大雪! 1月は観測史上最大の降雪になっているだとかとニュースで報じられていました。札幌駅で一夜を明かした人たち、JRが止まったので新千歳空港で一夜を明かしたひとたちの姿がテレビ画面などに流れてきてもいました。大変だったと思う。  そんななか母親が入院するため、札幌市中央区の病院まで運転することに。30日(金)のことです。朝は4:15起床。家を出る時刻は20分押して6:50分に。道の駅でトイレによりながら、それでも使った12号線は思いのほか空いていて、2時間50分ほどで到着しました(普段は2時間ほどで着く)。手続きや説明会を経て、病院を出たのが16:15分くらい。そこからすすきのを超えるあたりまでひどい渋滞でした。帰宅ラッシュでもあったでしょう。すすきのは4車線のうち、雪で2車線つぶれ、残りの1車線は駐車している車が多いため実質1車線になっていました。進まないわけです。乱暴な割り込みをされたり、危なくもあって、けっこう神経を使います。で、すき家で夕食をとり、コンビニにも寄って、帰宅は19:50分くらいだったでしょうか。往復で6時間以上運転したことになり、目がしょぼしょぼだし、前日までの二日間は職場で引っ越しの助っ人をやってましたし、昨日は疲れが抜けずだらだら過ごしてしまった。母の介護から離れられているのにもったいないと思いながら。それでも、夜には乃木坂46のCDについている映像特典を楽しむことはできたのですが。  で。  予定では3日にまたその中央区の病院へ行かねばならないんです。昨日、今日とまた札幌は大雪です。やれやれ、思いやられます。  36号線を運転していると、横断歩道の入り口もふさがっていて、2m以上の雪壁になっている。なんだこれ、と。まあ、雪の多さでいえば僕の町のほうが多いのですが、昨年もそうですがどうして札幌が、とは思いますよねえ。ちょうど雪まつりの時期ですけど、加減ってものがあるでしょう。反対に、僕の町は例年よりも雪がだいぶ少ない。昨年11月にドカ雪が降って観測以上最大なんて言われたのに。気候変動ですねえ。

原稿の進み具合。

  第6章の書き出しまで書いたエンタメ長編小説の原稿。先週末までに第5章の直しを終えた(とはいえ、最終的な直しはあとでちゃんとやる)。現在108枚だとカウントしていたのだけど、Wordに移すと105枚に減った。400字原稿用紙換算ではなく400字換算で、である。  週三日のパート事務職に就いてから3か月半が経つ。まず仕事になれるまで時間がかかったことがあり、なかなか原稿に取りかかれなかった。ましてや、在宅介護と家事、そして親父からの精神的な攻撃を受けながらだ。  それゆえ、第6章以降、なにをどう書くつもりだったのか、忘れてしまった。まあ、設定メモのなかに粗目のあらすじはあるし、たくさんのアイデアをメモしたものもある。26000字以上書きつけた設定メモだ。それでも、頭の中に入っているとの入っていないのとでは違う。どうしてこの人物はこういう行動を取ったのだろう、というその裏付けがわからなくなる。表面的な流れは書いていけるけれど、そこにある各人物の行動原理や行動理由が宿っていかない。  これまで書いた分を印刷した。今のプリンタではじめての紙詰まりトラブルに苦しみながらも、47ページの原稿は刷り上がった。これに、蛍光ペンや赤ペンで構成要素をくくるなどしながら、複数のテーマや伏線になるところを押さえていこうと思う。この工程によって、「あの話はどうなった?」という瑕疵ができあがるのを防げそうだ。  「でも」、なのだ。そこまでコントロール仕切ったものは、まとまりが好過ぎて、何かが足りない、と思われる作品になってしまわないだろうか。作者が、いや、登場人物が、論理によらず放埓に思考したり行動したりするところが少なからず存在しないと、作品に血は通わないような気がする。  生きいきとした作品を書き上げたい。読んでわくわくして、ページをどんどん繰りたくなりながら、目を横滑りさせるのではなくときに立ち止まり深く考えもしていただける。今回の目標はそこだ。そして、最後には……。  まだどういった結末になるかは決まっていない。はじめは、きっちり問題が解決して終わりにしようという気持ちのほうが強かった。でも、おそらく、割り切れないなかで、小さな決着を見て終わるのではないかと考えている。  あと200枚くらい書くだろうけど、いつ書き上げられるのか。焦らずに進めたい。

年をとってキレやすくなるのは、どうして?

 年をとって「あの人、まるくなったね」と言われる人もいれば、キレやすくなってしまい、いわゆる「暴走老人」と化す人もいる。 丸くなったならば周りの人はほっとするのだけれど、どんどんキレやすくなっていく人の周りにいる人は心理的な負担がかさんでいくようになる。どうしてキレやすくなるのか。 人間、歳をとると、老化で脳が委縮していく。もちろん、それほど委縮しない人もたくさんいらっしゃるだろう。でも、老化による影響として、そうなりやすくなる。また、日常的な飲酒習慣によって脳が委縮するという論文を扱ったニュース記事を読んだこともあるのだけど、それが前頭葉前部で顕著だったならば、自制心が効きにくくなっていくことは想像に難くない。まずこれが、キレやすくなる理由のひとつとして考えられる。前頭葉前部の萎縮だ。 もうひとつ、キレるときに「頭に血が上る」と表現される。実際、かっかかっかとして血圧が高くなり血流が増すだろう。血流が増すと、脳に送られる酸素やエネルギー量が増える。そうすると、脳の働きがふだんよりも活性化する。キレやすくなる人はこの効果を無意識的に感じ取り、すぐに頭に血をのぼらせることをためらわなくなるのではないだろうか。年をとって、若い頃よりもあたまが働かなくなる。それが、血流の増加により全盛時に近づくことができる、つまり老いを少し緩和できる。いつまでも若くいたいのだ。キレて嫌な気持ちになりながら、同時にどこか快感を覚えているなんてことはないだろうか? だとすると、「いつまでも頭は若いままでいたい」ととくにいつも脳トレになるようなことなどをしていない人が望むと、キレやすくなるのかもしれない。 年をとってキレやすくなることは、ネバーギブアップが生む悪循環なのではないか、という主張なのです(肉体面に注意すると、血管が硬化するため、その影響だということもあげられるでしょうけれども)。 たぶん、ネバーギブアップの姿勢でいて差し支えのない状態の人もいるでしょう。どんな状態かというと、いつも頭をよく使うだとか、睡眠不足ではないだとか、飲酒や喫煙習慣がないだとか、食生活で超加工品をあまり摂らないだとかの状態ではないでしょうか。また、考え方や性格も影響すると思うのですよ。とすると、考え方や性格の基盤となる、その人の「世界観」や「人間観」が大切だということになる。 いつまでもあたまのなかは...