鬼滅の刃を観てきた。

  世界中で大ヒットしているという『鬼滅の刃 無限城編第一章』を昨日観てきた。11時10分開始の回である。公開されてから半年くらい経つのだから、上映回数が一日一回なのもしかたなし。


 映画館までは車で片道1時間15分の道のり。比較的暖かな日だったので、道中は凍結した路面でもなく運転しやすくて助かる。着いたその地は江別市のイオンシネマだ。



 『ズートピア2』が公開したばかりの土曜日だからだろう、フロアは子ども連れの家族で賑わっていた。早目に到着した僕は、壁面に並ぶ合成皮革の椅子の、端っこの席に目立たないよう行儀よく座ってスマホをいじっていた。すぐさま隣に小学校中学年くらいのふたりの子どもたちが座った。彼女らは目の前のガラステーブルに上映中のときのために買ったに違いないポップコーンの大きな箱を置き、白くおいしそうな粒をひとつふたつと口に運びつまみ食いをし始めている。僕のほうは中央競馬のレース情報を漁り続けていた。指でスマホ画面を叩いたり撫でたりしながら文字を追っているのだが、視界の端ではポップコーンに伸びる子どもの腕をぼんやり眺めてもいた。こういう待ち時間のつぶし方にはいまだに慣れない。


 そうやって端っこの席になるべく気配を放たないように座り続けていた。夢中になっている振りをしているスマホの操作は、意思を持って選んでやっている行為のように見える工夫をしていてその実、困り果ててて四方八方ぐるりと見回したのち探し当てた逃げ道に転がり込んだにすぎない行為だ。やり過ごすにしても、はやる気持ちや待ちくたびれた気持ちを筒抜けにしてはいけない。社会というその水面に、たとえごく小さくても波紋を作らないようにするのがマナーであるのだと、いつしか周りから仕込まれていた。知らないうちに仕込まれていたんだろうという気がする。


 入場開始のアナウンスの声が響く。余裕を見せるように立ちあがって入口へ向かうと、すでに長い列ができあがっていた。驚いたのが、列をなす人たちのポップコーンやチュロスを手に持っているその率。全体の9割以上は抱えていたり握っていたりしている。僕の知らない決まりがあったのではないか、と胸騒ぎがしたくらいだ。いやいやそんなバカな決まりなんてないだろう、と驚きを振り払い、4番スクリーンへと歩いた。


 隣にはおよそ20代の女子二人組が座った。チケット購入時に、ここなら両隣りに誰も座るべくもないと予測を立てて選んだ席にも関わらず、みごとに座ったのである。だいたい、上下で言えば真ん中で、左右でいえば左寄りの席だった。できれば気兼ねなく、でーんと座っていたいものなのに。えっ、と思って、小さくかしこまってしまった。これは相手が女子だからではない。誰が座っても僕はそうなる。ただ、やっぱり好い匂いというものが鼻先をかすめ、悪い気は起きずにそれを嗅ぎ続けることにはなった。しかしこれは、公開からこれだけの期間になるのにまだまだ盛況だという証だった。今や客はぱらぱらだろうと甘い見通しを立てていたが、ほんとうにナメていた。


 3時間近い長さの映画はとてもおもしろかった。闘いのシーンから味方や敵が自らの過去を回想するシーケンスへと移り変わりつつ進行していくのは『鬼滅の刃』ではお決まりのパターンだ。今作も同様である。決まりきったその構造面に安心を感じるか、ひねりを欲しがるか。今回の僕は後者だった。シリーズをこれまでずっと楽しく見てきたが、ここにきてマンネリを感じ始めてきたのかもしれない。それでもそういった構造の中身である、キャラクターの挙動や回想は当たり前だがすべて新しかったし、隣に座った好い匂いを漂わせる見知らぬ女子がしきりに涙を拭いていたのがよく理解できる内容だった(不覚にもシアターの暗闇にまぎれて小さな涙を僕も数度こぼすことにはなった)。


 実に満足した。数えてみると、8年ぶりの映画館だった。学生の折には50回ほど映画館に入場した年もあったのに、そんな過ぎ去っていったセピア色の習慣をうっすら思い出しもした。


 お土産にはケーキを買った。ご機嫌だからではない。当初からの予定としてのケーキで、帰宅してから一足早いクリスマスを祝ったのだった。


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