続・慢性期にある精神疾患の人たちを地域で看るようにする、というニュースから。

  前に書いたが、慢性期にある精神疾患の人たちを地域で看るようにする、というニュース。このあたり、「社会福祉」へと範囲を広げて職場で先輩とちょっと話をした。


 僕としては「人件費のコストカット」という観点だったのだけれど、そもそも社会福祉の業界でかなり人不足になっていることを先輩から教えられた。まあ、どこの業界でも人不足は今、よく言われている。けれど、社会福祉の分野も相当だ、と。


 まず若者が定着しない。それ以前に、社会福祉の業界へ応募する若者が少なくなった。とりわけ地方の社会福祉においては、若者が経験を積んだのち、より都会の方へと出て行ってしまう傾向が強いのだ、と。これはアジアから働きに来ている人たちもそうで、はじめは地方の社会福祉施設で働いてくれる。それも勤勉で優秀だったりするのだけれど、やっぱり日本人の若者のように、より都会化した街へと移っていくそう。


 実は、僕の働きだした場所が社会福祉施設なのだ。事務職の先輩は、事務職であるにも関わらず現場へと一日中出向いていることが多い。これも、人不足のためだ。


 こういった状況を鑑みて、慢性期の精神疾患の人たちを含む、看護や介護が必要な人たちを地域で看るという方針に決まったのかもしれない。現代思想の分野で、精神疾患を生むのは社会のありかたからの影響なのだから、みんなで精神を病んだ人たちを看ていくべきだ、という考え方があるけれど、このニュースになっている件に関しては、残念ながらそうではなさそうだ。


 今読んでいる『近江商人の哲学』にちらっと書かれていた文言に、イタリア人は英米人のような効率主義ではない、という主旨のものがあった。イタリアでは精神病棟が撤廃されているはず。地域で看るようにシフトチェンジがはかられていて、それは効率主義ではないから移行できたのかもしれない。日本も英米のような効率主義的傾向が強いところがある。


 そんな効率を重視する国で、地域が一体となって社会福祉をしていく。人権尊重の意識からきたものではないのだから、はたして根づくだろうか? と懐疑的な目で見てしまう。どこまで折衷できるか。


 「英米の効率主義」⇔「イタリア的な人情のある主義」という構図にしてみる。二分法思考のように、100:0と極端な選択をするのではなく、75:25でも、55:45でも、まあどんな割合がよいのかはわからないけれど、それでも少しでも人権尊重の成分を含んだ施策となってほしい。


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