続・悪者にされる不条理。

  どうして僕が実家にいて、親たちをつなぎとめているのか。それはひとつに、僕自身が再生・回復するために家族の発展的修復を試みることが必要だからかもしれない。発展的修復だから、元に戻るのではなくてみんなが成長しながら家族関係を調整していくことになる。そうすることで僕自身救われるところがあるとわかっているからそうするのかもしれない。僕が実家暮らしをして家庭を繋ぎとめているのが悪い、と地域包括支援に言われたが、僕もまた家族のひとりであることを忘れてもらっては困る。また僕には、人を助けたい、という気持ちがあり、小説を書いてそれを為したい、というのもある。それなのに、現実世界でそういった問題に直面しているというのにうっちゃってしまい、自分が書く小説だけでメッセージを放っても空っぽなものになる。上っ面の嘘になる。だから、家庭の発展的修復を考えるというのもある。

 父には父の問題があり、母には母の問題があり、そういった親たちの元に生まれ育った僕にも僕の問題がある、それはまだ意識されていないものだとしても。それらと各々が向き合い、引き受けることで考え方や感じ方が変わっていくはずで、その少し変われた各人でまた家族関係を見直す、といった有り方を望んでいる。

 このあたり、僕がどうして家にいるのかを行動分析学的に考えるとわかるのだけど、役所は表面的に、思いたいように思って決めつける。
たぶん、前例とかマニュアルとか、そういったシステマティックなやり方に則るから、ケースごとの個別性が目に入らないのかもしれない。逆に、個別性が目に入ると物事が進んでいかないから、あえて無視するという雑な手段を選んでいるのかもしれない。

 あと、ひとつの行動には多面的な意味がある場合は珍しくない。僕が夜に外出しがちなことも、それは父親と距離を取ることでもあるし、それこそ僕が不在になることで本来子どもを巻き込むことで成り立たせてはいけない介護状況に直面してもらう意味もあるし、僕自身が家庭から避難し回復するためという意味もあり、もちろん外出して楽しみたいという意図のあることもある。

このあたりはショートメッセージでもいいから反論しないとなあと思うところなのでした。

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