育ち。

  うちの両親だけなのか、世代的なものなのかはわからない。彼らには自らが人としてよくなろう、向上しようという気がない。自分の基盤の部分はなにがどうしたって変わらないし、変わらせはしない、という気でいるのが見て取れるようになってきた。これはやっぱり、「不安」が強いからじゃないかなあ。


 母親は専門的に不安神経症と診断されたのがはじまりだし、父親は総合内科で不安神経症と診断されている。それで僕はひとりっ子で、数的に分が悪い。こうしろああしろと不安神経症的な考え方や感じ方を押し付けられてきた。自分では知らずにいびつな世界観をもってしまうものなのです。


 音楽、インターネット、というものがそのいびつな世界観に「それはどうかな?」と働きかけるものだったしハッと小さく気づけたことでいびつな世界観に小さな亀裂を生じさせもした。これは学生の時分。その後、悩まされていた頭痛が緩和して読書量が増えるとそれまでの世界観をいつしか客観的に見られるように。


 だから、本って好いな、助かったな、すばらしいところがあるな、と思えたりもする。それでもって、僕自身もそういった言語的表現の発信をしたくなる。さらに、それで収入を得られたらなおいい、と思うようになった。とはいえ年齢的にも能力的にも、もうそれしかないじゃん、とも感じていた。


 勤めながらでも本を読んだり、ものを書いたりするのは、流されて生きるのができないからだ。自分の手綱を自分で握っていないと著しく心身の調子が悪くなるタイプ。これは育ちのせいだろう。わけのわからないものを押しつけられてきた苦しみの根深さだ。


 なんてことを書いていると、私小説的エンタメの一部みたいなものになっていたり。まあ、小説作品にとりかかっているときでも、自分ってものを5%くらい書き込んでも問題ないだろう、みたいには思っています。音楽の分野では、坂本龍一さんが作品のなかの5%の自分、と言っていたことがある。……と話がちょっぴり逸れていったところで今日はおしまい。


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