時代と共に精神構造は変わる。
人間の精神構造は時代によって変わってくる。だから、100年前に効果のあった精神分析の方法論が現代では古いため使えなくて、現代で用いられているものはバージョンアップされたものだったりする(ようです)。
これは、精神分析が開発された西洋での話。だとすると、自我の在り方が西洋人とまったく違う(といわれる)日本人には、西洋で受け継がれている精神分析はそのまま当てはまらないんじゃないか、と考えられる。精神構造が違うから。
欧米ほどメンタル面での医療がポピュラーにならないのには、こういった、西洋人の精神構造に適した医療行為だからイマイチしっくりこないがためなのかなあと思った。薬物治療はまた違うかもしれないですが。精神分析や心理療法の分野についての話です。
精神分析をそのまま日本語に翻訳するっていうやり方よりも、日本人用に開発するような「創造」がほんとうは必要なのかもしれなくないですか。たとえば河合隼雄さんはユング派だったけれど、昔話を分析したりなど日本人の心理を西洋人とは違うものとして考えた人でもあったんじゃないかなあ。
などと、ぐるぐる考えながら書いていますが、現実にはずっと昔からそういった方向で動いてきているものだったりしそうですよね。
・・・以下からは翌日に書いた追記になります。
ということは、しつけや教育の仕方にも「時代によって人間の精神構造は変わる」というとらえ方(あるいは事実)を反映するべきなのかもしれない。わかりやすい例だと根性論・精神論によるスパルタ教育。100年前の人たちにはそれが当たり前で、耐えられた人が多かったのだろうけれど、それは時代環境によって作られた個々の精神構造がそういった根性論と親和性があったからなのかもしれない。現代人にこの100年前の教育方法を施したところで成果はあまり上がらないだろうし、不満が出るだろうし、メンタル不調になる人もそれなりの数がいそうだ。
昔の考えを現代にも押し通す、というのは年配の人に多い。「昔はこうやってたんだ」と彼らは言う。これが時代錯誤となるのは、時代と共にそこに生きる人たちの精神構造が変わって、昔のやり方がそぐわなくなるからだ。開発された当初の精神分析が時代の進み具合とともに効果が得られなくなっていくように。だから、他者に意見したい人ほど、時代と共に自分自身も変化していかなくてはいけないだろう。
「昔はよかった」という言葉も、歳を重ねた人たちから聞かれる。昔の精神構造のまま変わらず現代を生きているから、時代環境に合わなくなったのだと考えることもできるのではないか。
ただ、そういった昔のまま、さほど精神構造が変わらない人たちが言い出すのは、優劣についてだったりする。昔のやり方のほうが優れていた、と言い出す。今の若い人たちは弱い、などもそう。たしかに僕自身を含めて、現代人にはひ弱な人が増えたかもしれない。かといって、「昔はよかった」に含まれている「よい成分」は野蛮さだ。繊細さややさしさと、野蛮さと。それらははたして水と油なのだろうか。それらが相容れないものだとして、どこかに乳化剤(水と油を混ぜ合わてしまう物質)の役割を持つようなある種の考え方やメンタルの落としどころがないのかどうか。まだ未発見の地平だと思いたい。
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